日本でノロウイルスによる食中毒の発生件数は、年間に数百件、人数で1万人前後です。件数だとカンピロバクターが第1位の年もありますが、患者数はぶっちぎりのトップです。ノロウイルスは感染力が強く、ひとたび食中毒が起きると多くの人が感染するからでしょう。また、小規模の食中毒事件だと、診断や届け出に至らない場合もありますので、実際の食中毒件数・患者数はさらに多いはずです。
ノロウイルスは、ウイルスなのに多くの人に食中毒を起こす点で特殊です。ノロウイルス以外のウイルスが原因の食中毒は、A型肝炎やE型肝炎などがありますが、比較的まれです。そもそも主な食中毒の原因はウイルスではなく細菌で、カンピロバクター、ウェルシュ菌、サルモネラ、病原大腸菌などです。ウイルスも細菌も目に見えないぐらい小さいですが、ウイルスは細菌よりもさらに小さく、細胞を持たずほかの細胞に頼らないと増殖できないのに対し、細菌は細胞を持ち自力で増殖できます。
細菌による典型的な食中毒は、食べ物についた細菌が増えることで起こります。つまり対策としては、「調理してすぐに食べる」「調理後は低温で保存する」など、細菌を「増やさない」工夫が有効です。しかし、ノロウイルスは食べ物の中で増殖しません。またA型肝炎ウイルスやE型肝炎ウイルス、カンピロバクターなどの一部の細菌も、同じことが言えます。
A型肝炎ウイルスはノロウイルスと同じく二枚貝、E型肝炎ウイルスは猪・鹿・豚の肉、カンピロバクターは鶏肉などから感染します。これらの食中毒は、ウイルスや細菌を「増やさない」対策は効果がありません。食品がウイルスに汚染されていたら、どんなに新鮮でも感染の危険があります。ウイルスや細菌を「つけない」、あるいは、十分な加熱によって「やっつける」といった対策が必要です。
ところで生食用のカキには、はじめはノロウイルスがついていません。ノロウイルスは人間の体内でしか増殖できず、海水などの環境中はもちろん、カキの体中でも増殖できません。では、どのように広がるのでしょうか。
人間の腸管で増殖したウイルスは、トイレ・下水を通じて川に放出され、海にたどりつきます。カキは大量の海水をエラでこしてプランクトンを食べているので、このときにウイルスもカキの体内にとりこまれ、濃縮・蓄積されてしまうのです。しかし下水が流れ込まない海域のカキならば、ノロウイルスに汚染されないので生で食べることができるわけです(ただし、市販されている生食用のカキの一部からノロウイルスが検出できたという報告もあり、100%安全だとは言えません)。
医師としては言いずらいことですが、ノロウイルスの生存戦略には感心させられます。ヒトの細胞がなければ増殖できない、ある意味「か弱い」ノロウイルスが、多くの人に感染しているのです。二枚貝に蓄積するのも偶然ではなく、二枚貝に蓄積しやすいように進化してきたのかもしれません。