【ハンセン病】「国の過ち考えて」 高知市でハンセン病考えるフォーラム /高知県
ハンセン病について考えるフォーラムが6月28日、高知市九反田の市文化プラザ「かるぽーと」で開かれる。患者の強制収容はどのように進められたのか。差別はどう醸成されていったのか。フォーラムを前に国立ハンセン病資料館(東京都)の学芸員、金貴粉(きんきぶん)さん(37)が高知を訪れ、「過去の国の過ちから社会を考えてほしい」と呼び掛けた。
ハンセン病は末梢(まっしょう)神経と皮膚が侵される慢性感染症。感染力や発病力は極めて弱い。
日本では医学的根拠のないまま1931年に旧「らい予防法」で強制隔離が法制化され、40年代以降は特効薬開発などで治療は可能とされたにもかかわらず、1953年の新法「らい予防法」も隔離政策を維持。1996年にらい予防法が廃止されるまで強制隔離は続いた。患者とされた者は家族との絆を断たれ、子を持つことも許されず、療養所内で終生過ごした。
金さんによると、患者の強制隔離は30~60年代は特に社会運動として全国的に展開され、高知県内の様子を記した報告も残っているという。
記述があるのは岡山県の国立療養所「長島愛生園」の機関誌「愛生」の41年の号。同園の医師が現在の高知県安芸郡東洋町と室戸市辺りを回り、警察の協力を得て患者をトラックに乗せ病院に収容していった様子を記している。
機関誌「愛生」の中では隔離政策を「浄化」と表現。高知県では患者の収容が思うように進んでいなかったようで、「同志よ立て、眠れる土佐七十四萬の県民を呼び起せ」と、強制収容に駆り立てるような表現で締めくくっている。
金さんによると、この医師だけでなく当時は多くの医師が隔離策が唯一の予防策と信じていたという。マスコミもこうした風潮を後押しした。「収容のためのトラックを貸し出すことなど、運動に参加することは社会正義や善意とみなされた。それが結果的に差別を助長させた」
全国の療養所では今も約1400人が生活する。
フォーラムは香川県高松市の国立療養所「大島青松園」と日本財団が主催し、午後1時から。元患者の講演のほか、関係者が正しいハンセン病の理解について話し合うパネル討議がある。入場無料。