2019/10/12【ペスト菌】「黒死病」 欧州人口を6割激減させたパンデミックの「発生源」はロシアだった 研究で明らかに
14世紀に欧州で数千万人の命を奪った「黒死病」と呼ばれるペストの第二パンデミックの発生源は、ライシェヴォ市(ロシアのタタールスタン共和国西部)近郊だった。研究者らによる調査結果が、科学誌ネイチャーコミュニケーションズに掲載された。
「黒死病」
欧州での第二次ペストパンデミックは、現代の欧州の全ての国で起こった。1347~1351年の間に7500万人から2億人が亡くなったと推定される。散発的なペストの流行は18世紀初頭まで続いた。また、欧州での第一次ペストパンデミックは6世紀に起きている。
マックス・プランク人類史科学研究所(ドイツ)の研究者らは、1346年に沿ヴォルガ地方と黒海周辺(現代ロシア)でペストの流行があったことは知っていた。
しかし、流行を拡大させた具体的なメカニズムやルートについて詳細に書かれたものは存在しなかった。
タタールスタンから欧州の西部国境へ
研究者らは14~17世紀にかけて英国、フランス、スイス、ドイツ、ロシア、その他の欧州諸国で死亡したペスト患者の歯から採取した34のゲノムを解析し、得られたデータに基づいて14~17世紀に起きたパンデミックの一種の遺伝子系統樹を作成した。
研究者らは、「黒死病」の感染を広めたペスト菌(Yersinia pestis)は、いずれの流行の場合も共通の先祖LAI009を持っていることが分かった。
細菌LAI009はタタールスタン共和国のライシェヴォ市(共和国の首都カザンから南東へ55キロ)で発見された。
研究者らは「細菌LAI009は、欧州での第二次パンデミックの第一波の際に欧州に入ってきた菌株の最も初期の形態だと解釈している」と説明している。
研究者らによると、今回得られた新しいデータは、ペストの流行が「東から来た」という古い資料との相関関係が強いという。
さらに、研究者らは、ペストはライシェヴォ市(タタールスタン)から欧州に侵入した可能性が高いと指摘している。研究者らの次なる研究課題は、「黒死病」の病原菌がどのようにしてタタールスタンに侵入し、中世ヨーロッパ全土に広まったのかを解明することだ。