2021/02/20【新型コロナウイルス:COVID-19】“新型コロナの死亡率”が国によってこんなにも違う「たった一つの理由」
新型コロナウイルスによる被害を最小限に食い止めている社会と、感染に歯止めがかからない社会の差は、どのようにして生まれるのだろうか? 文化心理学者である筆者が、その文化的要因と、「致死率を最小化」するための3つの指針について解説する。
新型コロナウイルスによる死者数は全世界で200万人、感染者数は1億人を超えた。ワクチン接種が進行している現在においても、この感染症の猛威はとどまっていない。
しかし、その死亡率は、すべての地域で一定なわけではない。パンデミックを効果的に鎮静した国がある一方で、大ダメージを被った国もある。日本の人口は1億2600万人だが、死者数は7000人を超える程度だ。それに対して、人口がほぼ同じくらいのメキシコでは、死者数は15万人を超えている。
この純然たる差をどう説明したらいいのだろう? 経済状態? 医療機関の収容能力? 国民の平均年齢? 気候?
この度、コロナの死亡率が、よりシンプルだが核心的な要素に左右されることがわかった。それは、国民がどのくらい進んでルールに従うのかについての、文化的な差だ。
何が人々にルールを守らせるのか?
すべての文化には社会規範があり、社会のなかでの行動に関する不文律がある。私たちは服装や、子供の教育に関する規範を順守するし、満員の地下鉄の中を無理やり通ったりはしない。これはそうしたルールが法律によって定められているからではなく、ルールが社会の機能を円滑にするからだ。
だが、心理学者たちが示してきたように、社会規範を順守する「厳しい」文化がある一方で、「緩い」文化もある。そこでは規則の違反者に対して、より寛容な態度が見られる。
この文化的な差異に最初に気づいたのは、古代ギリシャの歴史家ヘロドトスだったが、近代においては心理学者や人類学者たちがその定量化に成功した。シンガポール、日本、中国、オーストラリアといった国々は、アメリカ、イギリス、イスラエル、スペイン、イタリアなどに比べて、かなり厳格とされている。
これらの差異は決して偶然ではない。国民国家、および小規模コミュニティの両方を対象に調査したところ、長期にわたって危機──自然災害、伝染病、飢饉や侵略など──にさらされた共同体は、秩序や団結を強化する、より厳密なルールを発達させることが明らかになったのだ。
これは社会の進化を説明するうえで、とても理にかなっている。ルールに従うことは、混沌や危機を生き延びる助けになる、というわけだ。逆に言えば、危機に瀕したことが比較的少ない「緩い」グループには、より寛容になる余裕が生まれるのだ。
コロナ禍でも緊張感が生まれない理由
どちらのタイプが良い悪いということはない──世界的パンデミックが発生するまでは、そうだった。
昨年3月、私は、ルールを破りがちなメンタリティを持つ「緩い」文化は、パンデミック下の公衆衛生対策になかなか従わず、悲劇的な結果を招くことになるのではないかという懸念を抱いた。ただ、そうした文化も、いずれはルールを守るようになるだろうと思った。
しかし、そうはならなかった。私のチームが「ランサー・プラネタリー・ヘルス」に発表した、50以上の国を対象にした調査の結果、その他諸々の要素を加味しても、「緩い」文化は「厳しい」文化に比べ、感染者数では5倍、死亡者数では8倍の値を示していることが明らかになったのだ。
なかでも顕著だったのは、イギリスの調査会社ユーガブのデータを用いた分析結果だ。それによれば、「緩い」文化においては、2020年を通じて、新型コロナウイルスを恐れる人の割合が他と比べて非常に少なかったのだ。
「厳しい」国々では、70%の人々がウイルス感染を非常に怖れている。だが「緩い」文化においては、たったの49%だった。
危機に対応できず絶滅した動物も
こうした人々の間にさっぱり緊張感が生まれなかった理由のひとつは、危機感の希薄な文化に暮らす人々が、パンデミック当初の「危険信号」に素早く反応できなかったことによる。
こうした現象は自然界においても発生する。有名な例として、モーリシャス島に生息していたドードー鳥は、天敵のいない環境で進化してきたため恐れを知らず、人間と初めて接触してから100年で絶滅してしまった、というものがある。
ドードーの顛末が教えてくれるのは、特定の環境で培われた特徴は、環境が変化すると同時に「障害」となる可能性がある、ということだ。科学者はこれを「進化的トラップ」と呼ぶ。これこそが、「緩い」傾向を持つ社会において、新型コロナによる多くの不必要な犠牲者を出してしまった原因なのだ。
もちろん、「緩い」グループが地球上から消え去る運命にあるわけではない。しかし、すでに1年にもなるパンデミックとの戦いは、これらのグループが環境への適応において抱える困難を示している。
「目に見えない危機」をどう伝えるべきか
これからのコロナの致死率を最小化するため、そして将来、別の集団的危機が起こった時に備えるために、「緩い」国々は正しく危険信号を発し、人々はそれに注意を払わねばならない。
まず、危機に対処するための文化的な知性を身に付けるところから始めよう。それには3つの行動が鍵となる。
第一に、私たちが今瀕しているタイプの危機(感染拡大など)の伝え方を変えていく必要がある。私たちは、たとえば戦争のような、目に見えて具体的な危機に対しては、すぐに緊張感を持って対応する。
対して、ウイルスは目に見えず抽象的で、その危険信号は無視されがちだ。公衆衛生機関はコロナの危険をはっきり可視化しなければならない。しかし、ただ単に人々を脅かすのでは逆効果だ。というのも、心理学者が言うように、人間は途方にくれると保守的、受動的な姿勢をとりがちだからである。
普段の振る舞いを変えるよう人々を説得するためには、コロナの症状を包み隠すことなく説明する一方で、「為せば成る」の精神を人々に鼓舞していかなければならないのだ。
お手本とすべき国はニュージーランド
第二に、「厳格」になるべきなのはあくまで一時のことである、と明確にする必要がある。ルール破りの傾向があるコミュニティも、緊縮的な状況に終わりが見えていれば、「厳しい」対策にも協力できるだろう。迅速に緊縮体制に入れれば、迅速に脅威を減らすことができ、結果として自由も早く戻ってくるわけだ。
すべての国に必要なのは、「文化的器用さ」──すなわち、その時々の状況に合わせて、「厳しく」なったり「緩く」なったりを調整する力だ。
ニュージーランドのやり方はこの方法を体現している。ニュージーランド国民は「緩い」ことで有名だが、一方で彼らは世界的に見ても最高水準の「厳しい」対策を早い段階から実行し、規則を破りがちなメンタリティを飼いならして、新型コロナの死者数をたった26人に抑えることに成功した。
一丸となるための努力も必要
そして最後に、我々は「皆で頑張ろう!」という団結感を高めなければいけない。米紙「ワシントン・ポスト」はこのアプローチに成功した例として、ある小さな町の話を伝えている。
米バージニア州のチェサピーク湾に浮かぶタンジール島では、何ヵ月もの間、感染者が1人もいなかった。しかし感染爆発が始まると、島民は連帯して公衆衛生における緊密な協力体制を示したのだ。島民のリタ・プルーイットは、町の気風をこう表現した。
「今となっては、みんなコロナを真面目に考えてるわ。でもそれが問題だったのよね。最初、私たちは真面目に取り合わず、他人事だと思っていたわけだから」
他者への共感と協力体制、そして何よりも、正しく危険信号を受け取ることによって、この島では進化的トラップが早々に克服されたのだ。
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