【結核菌】「昔の病気」で18秒に1人が命を落とす。結核の怖さとは?
知っているだろうか。日本では「昔の病気」と思われている結核が、今もまだ、世界で多くの人びとの命を奪っていることを。予防、診断、治療という正しい対応をすれば治るはずの結核で、毎年170万人、つまり18秒に1人が命を落としている。国境なき医師団(MSF)は罹患率の高い国で診断と治療、予防活動を広めているが、多くの国で、今も患者は長くつらい治療を続けている。
赤ちゃんを置いて
結核の検査を終えたサミュエル(66歳)に、MSFの結核専門医、ヴェロニカ・ポルヴォカが話しかける。スワジランドのマンジーニ地方にあるMSFの診療所では、来院した患者は全員、結核のスクリーニングを受け、感染の疑いがある人は精密検査を受ける。
マンジーニに暮らす5人の子どもの母親、ノンヴラも患者の1人だ。工場労働者だった彼女は、薬の効かない薬剤耐性結核(DR-TB)に感染している。
「治療のため、生後3週間の赤ちゃんを置いて国立結核病院に入院しなければなりませんでした。家に帰ったら、恋人が家財を盗んでいて、本当にショックでした」
複数の薬が効かない
3人の子どもの母親、ナンニャニソ・バロイは32歳の主婦。南アフリカの西ケープ州カエリチャで、子どもたちや叔母と暮らしている。
「今年の初め、体重が減って食欲もなく、しばしば吐いていました。いつも疲れを感じていて、結核の診断を受けました」
ナンニャニソは最初の薬が効かず、医師たちは必死に代わりの治療法を探した。だが、「超多剤耐性結核(XDR-TB)」になりかけていることがわかった。複数の薬が効かない多剤耐性結核(MDR-TB)の中でもさらに深刻な状態だ。彼女には、デラマニドとベダキリンという新しい薬を使った治療法が必要になった。
「新しい治療を受けられて嬉しいです。最初は歩くことさえできませんでしたが、今では、以前できなかったことまでできるようになっています」。ナンニャニソは回復しつつある。
新薬が使えた患者はわずか5%
エリザベスは、ただの風邪をひいただけで、そのうち治るだろうと思っていた。だが、何種類もの咳止めを数ヵ月間試しても治らず、ケニアのナイロビ市内にあるMSF診療所で、結核と診断された。これが、この病気と闘う、困難な道のりの始まりだった。その後、XDR-TBに突然変異した。
「すごく痛い注射を8ヵ月間うち、たくさんの錠剤を飲む治療でした。息子の検査もしたほうがいいと言われ、連れてきたら、彼もMDR-TBに陽性反応が出たのです。ひどく落ち込み、悲しくなりました。息子は弱っていましたが、薬を7ヵ月ほど飲んで具合がよくなりはじめ、今では学校に戻っています。すごく嬉しいです。ただ、私は違いました。治療を始めて5ヵ月後、薬が効いていないことが明らかになったのです。なぜ病気になったのかと、自問しながら泣いたこともあります」
MSFはケニア政府と連携して、エリザベスの治療に最新の薬を使うことができた。彼女は最も危険なXDR-TBから回復したが、こうした薬の利用は例外的に認められているだけだ。2016年、世界全体で結核の新薬を必要としている人のうち実際に利用できたのは5%にも満たない。
つらく長い治療、偏見も
ジョージアも、DR-TBの罹患率が高い国だ。対策に取り組んでいるが、治療法はほとんど選べない。高価で副作用の強い薬を長期間服用する、複雑な治療法しかない。たとえ新しい薬を利用できたとしても、多くの患者が最低9ヵ月間の治療を続けなければならず、それが2年に及ぶことも多い。治療期間を終えるまでに1万錠以上の薬をのみ、6~8ヵ月の間は毎日、痛みの強い注射を受けなければならない。
ケール・マントカヴァはDR-TBが完治した元患者で、今はジョージアにあるアバトゥマニ結核病院でコンサルタントを務め、患者の相談を受けている。「結核に感染していることが分かると、患者は常に偏見を恐れます。私は、患者がひどく苦しまなくてすむよう、手助けしています」
http://www.msf.or.jp/news/detail/voice_3594.html