8月12日、ちょっと目を疑う見出しが視界に飛び込んできました。
東京都の感染拡大「制御不能」な状況に
(https://www3.nhk.or.jp/…/20210812/k10013196681000.html)
こう「専門家」が言っているというのです。
反射的に思ったのは「感染拡大を制御してこその専門家」だということ。制御できないなら、ただの素人のおじさんおばさんの集団でしょう。
早速「モニタリング会議」を確認して、非常に残念な納得がいってしまいました。
会議に出てきた「専門家」は、まず間違いなく、自分自身で取りまとめたのではない、スタッフが上げてきたパワーポイントとシナリオを読み上げる役で、その場で実質的な議論などなされることはありませんでした。
さらに、居並ぶ人々がどのような「専門家」であるか、検索して、もう一つ納得がいきました。
全員「医師」であること。またほぼ全員が「臨床医」(かそのOB)であること。
つまり、現役の基礎医学研究者や、一線の公衆衛生医、医師ではなく、都市防疫の観点からパンデミック収束を図るウイルス学の専門家などは一人もいないように見受けました。
東京都で拡大の一途をたどる感染を収束させるシビル・エンジニアリング、都市衛生の「専門家」が見当たらない。
「院内感染」などの専門である可能性はあると思いますが、そういう人たちが、複雑多岐にわたる一千万大都市で市中感染する新型コロナの拡大に「制御不能」と言っている。
つまり「制御可能な専門」ではない、別の専門家たちを専ら並べて、そこで「制御不能」と言わせている。
中には精神科医も混ざっていました。確かに、こういう状況のなか、都民の心の健康はとても大事です。
でも、差し当たっての大問題は、どうやって感染を拡大させず、縮小させるかであって、それに積極的に役立つ専門の環境ウイルス学者などがおらず、「打つ手なし」と白旗で両手を上げてしまうのであれば、それはちょっと違うのではないか?
しばらく前に、Yahoo! で、私の連載は「専門家」のものではないので取り上げないという回があったようです。
ところが、プロフィールに東大の職位を載せると態度が変わるような薄っぺらい「専門」判断で、いったい何を峻別しているつもりなのでしょう?
都の専門家によるウイルスへの「全面降伏」さらには「これからは自分の身は自分で守る、感染予防のための行動が必要な段階」という、ある意味当たり前でもあり、また行政がこれを言うというのは、下手すると責任の全面放棄とも取られかねない、どうしようもない「モニタリング会議」になり果てていました。
いったいこれは何事か。首をかしげざるを得ません。
■ シビル・エンジニアリング不在の都市防疫
それにしても、東京都の感染拡大は、本当に制御不能なのでしょうか?
そんなことはありません。院内感染の手法では、打つ手はないと思われるかもしれませんが、例えば2011年、新型インフルエンザの流行に対して、国土交通政策研究所がとりまとめた「通勤時の新型インフルエンザ対策に関する調査研究(首都圏)」(https://www.mlit.go.jp/pri/houkoku/gaiyou/pdf/kkk100.pdf)という研究調査報告書があります。
ここに示されたような方針を2021年の新型コロナウイルス対策に適用して、都営地下鉄や都バスなどに徹底的な「減便ダイヤ」が敷かれたりしているでしょうか?
あるいは、JRや私鉄各社に、徹底した間引き運転による人流削減の措置が講じられているか?
電車やバスだけではありません。自動車交通などについても、首都高の入り口閉鎖や料金設定など、人流を減らす「方法」は、山のように存在します。
これらを仮に、架空のシミュレーションで検討して、対策を講じるのであっても、まだ何もしないよりはマシでしょう。
ただ、飲食店の営業は8時までとか、酒類の提供は・・・といった、その効用に何の科学的根拠もない「時短」と同様、ザルの政策で伝染病を抑え込むことは困難でしょう。
病原体の方が、はるかに狡猾、かつ巧妙です。
彼らのウラをかく、有効でサイエンスに裏付けられた、時々刻々変化する感染状況を反映する「実測値」に基づいた対策、例えば「人流制御」であり、「変異株対策」であり、さらには患者の絶対数増加によって引き起こされている「在宅加療」に即した諸政策であり・・・といったものが、十分に採られているだろうか。
およそ、採られていない。
打つ手はまだ、いくらでもあるのに、それに手が全くついていない。それが、日本社会がコロナに打ち勝つことができない大きな要因ではないかと指摘する専門家が何人もおられます。
日本のコロナは「専門家」のタコツボ縦割りで、身動きが取れないまま、状況が日々悪化していく。
イスラエルや英米のような、科学的に整合した全体像を持つコロナ対策など、この国には「夢のまた夢」に留まるのでしょうか?
■ 新型コロナウイルス感染症の知識構造化
ここでよく挙げられる例えを引き合いに出しましょう。50年前なら、テレビが故障したというとき、街の電気屋さんが外装のカバーを外して、中の素子を取り換えて修理できました。
そう言って分かるのは中高年以上だけでしょう。いま「テレビ」が壊れたら一番早いのは「捨てて次を買う」という解決法でしょう。
次善の策として「いくつかの基板を取り換える」のがあるかもしれません。
いまやテレビを一人ですべて理解し、部品レベルから直せるという「電気屋さん」も「エンジニア」も存在しない。
それくらい、個別「モジュール」は深化・進化を遂げていて、すでに一人の「専門家」がカバーできる状態ではないわけです。
幾度も強調している基本ですが「新型コロナウイルス感染症」の専門家などというものが存在すると思っているまともな大学研究者はいません。
医学だけで考えても、実験動物を相手に地味な仕事を積み上げる「基礎研究医」、病院で患者の命を預かる「臨床治療医」と、保健所や厚生労働省で公衆衛生行政に責任を持つ「保健衛生医」は全く別の仕事で、各々広大な領域があり、そもそも言葉からして違っています。
例えば、治療薬を服用して本来狙ったのと違う効果が出れば「副作用」ですが、ワクチンの場合は歴史的な経緯で「副反応」と呼ばれます。
この頃はトンデモ用語も飛び交っているようで「コロナの副作用」なる日本語を目にして仰天しました。
■ 世間には「トンデモ医」発信の情報も
いつから「コロナ」は治療薬になったのか?
素人相手に何でも売れそうな意匠を並べて銭金を抜こうとする、卑しい了見は単にいじましいだけでなく、デマをまき散らすという観点からは純然と有害無益です。
そんなトンデモ医的なものは論外としても、基礎と臨床、保健行政との間にはおよそ埋めがたい溝があります。
また、すべての基礎医学者がコロナ生命科学の最も精緻な分子、原子レベルのメカニズムを理解しているかと問われれば、もちろんそんなことはありません。
日本のノーベル医学生理学賞を見ても、利根川進さんは理学部化学科卒でノンMD、つまりお医者さんではありません。
コロナ防疫の支柱というべきmRNAワクチンを実用化し、2021年度ノーベル医学生理学賞の本命と噂される、ビオンテック社の副社長、カタリン・カリコ博士もお医者さんではない。
分子生物学者は必ずしも医師ではないし、すべての医師が新型コロナの最前線研究を分子や原子、電子のレベルから理解しているわけでは全くない。
日本のメディアは、下手すると医者ではないという理由だけでカリコ博士を「専門家ではない」と区分する程度の水準にあります。
また医師であるというだけで専門家認定された、おかしな芸風の人が、「コロナワクチン」で副作用が出る人と出ない人が分かるような売り方をしてみたりもする。
中心から周縁まで、相当ネジが緩んでいることを懸念しなければならなさそうです。
(言うまでもありませんが、特定のアレルギーなど例外を除いて、新型コロナ・ワクチンを接種した際、どの人にどのような副反応が出るかなど、科学的に予測などは一般にできません)
政策の中核に近い場所にいても、感染拡大に制御方法がなければ、その分野に関しては専門家ではなく単なる無策徒手の素人と変わりがない。
また医師免許を持ちながら、怪しげな商法で営利する者があれば、人道に悖る所業と言わねばならないでしょう。
日本はこうした「専門性」という建前で、相当国力を削がれている懸念が拭えません。
科学的に筋道の通った感染症対策のためには、「コロナ行革」でこうした空文化した状況を一新する必要があるように思われます。
https://news.yahoo.co.jp/…/70b9044dbf03239b6d438eb84a8e…